あらかたひとりのブログ

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Astronomy 天文学

目立つ星や星群のヘリアカルライジング(日の出直前に東の空に天体が現れること)やセッティングは一年の節目を示すために利用されており、ホメロスやヘシオドスにもその記述がみられるため先史時代から続いていた伝統であると思われる。この伝統は紀元前5世紀、メトンとエウクテモンによる「天文カレンダー」に結実したが、そこには夏至冬至、星の出没の情報が載っていた。

紀元前5世紀以前には科学的天文学はほとんど存在しておらず、例えばタレスが日食を予測したという話も眉唾である。しかしながら紀元前5世紀の間には、パルメニデスによる地球の球体性への言及やエンペドクレスによる日食の原因の推論など重要な概念があらわれている。星座についてはバビロニアから伝わってきており、またメトン周期など観測天文学もまたバビロニア由来であると考えられている。

紀元前4世紀には太陽や月、惑星といった天体の運動を円運動を基本とした幾何学的モデルで説明しようというギリシアらしい貢献があった。プラトンのものとされがちなこの功績はおそらくエウドクソスによるもので、そしてエウドクソスは5つの惑星を認識した最初のギリシア人とされる(これもバビロニアの影響かもしれない)。天体運動の幾何学的モデルについては、カリッポスがエウドクソスのモデルを修正しそれをアリストテレスが受け入れたが、さらに後世周転円や離心円を使った複雑なものとなり、これがギリシア理論天文学の標準的なモデルとなった。一方、アリスタルコスは地動説を唱えたがこれは受け入れられることはなかった。

紀元前145年から125年の間には、ヒッパルコスによって天文学は一変した。ヒッパルコスバビロニア天文学の幅広い知識を持った最初のギリシア人であったようで、三角測量の発展や歳差運動(の一種)の発見とともに、先人たちの幾何学的モデルを用いて現象を計算、予測しようとした。ヒッパルコス以降、天体の位置を計算する占星術が盛んになったのは間違いない。

しかしこの時期の活動はプトレマイオスアルマゲスト(紀元前150年頃)によってかすんでしまっている。アルマゲストは天体運動を周転円や離心円を使った幾何学的モデルによって計算し、(おそらく状況によってはという意味で)10秒角(0.003度程度)程度の許容値で観測値を説明し、この後1300年に渡り効力を発揮し続ける著作となった。