ヒポクラテスの誓いにおいては堕胎は退けられているが、売春婦などはよく中絶を行っていたとされる。アテナイにおいては夫が死んだ際に妻が妊娠していた場合、堕胎は犯罪とされていた。また、ギリシアの神殿においては中絶は40日の穢れとみなされていた。
ストア派は、胎児とは植物のようなものとして発生し呼吸をした瞬間から動物になると信じており、これが中絶を受け入れられるものとした思想のひとつであると思われる。
古代ローマにおいて紀元2世紀初めには中絶が罪とみなされるようになり、キリスト教の浸透とともに糾弾されるものとなった。