古典へのまなざし
古典への取り組み方って、名作として祭り上げることではなく、ツッコミをして楽しみながら昔と今を考えることにあるんじゃないかな。
ホメロス「イリアス」を今頃読んだのだけれど、これがもう飽き飽きなのだ。まあ古典で叙事詩だからという話なのだけど。
1.
盾で防いだ、槍で貫いたという感じの描写が何度も続く。また、この描写に人物の出自や親に関する情報が挟まれる。
(ついでエウロアリュスは、ドレソス、オペルティオスの二人を斃し、さらにアイセポスとペダソスの後を追う。この二人はかつて泉に棲むニンフ、アバルバレエが姿の良いブコリオンに産んだ子であった。ブコリオンは貴人ラオメドンの息子で、生まれた順ではその長子であったが、その母が人目を盗んで産んだ子で、羊を飼っていたブコリオンが、このニンフと懇ろになり、身ごもったニンフが産んだ双子がこの二人であった。さて、メキステスの子(エウリュアロス)は、二人の戦意とともに見事な四肢の力も奪って、方から武具を剥ぎ取った。)
2.
登場人物たちの行動にイマイチ乗り切れない。というか何か駄々洩れだ。
(お前は禍いの預言者じゃ。いまだかつてわしの喜ぶようなことをいってくれたためしがない。いつも吉からぬことを予言するのがお前には楽しいらしい。これまでになに一つ吉いことをいったこともしたこともない。今もまたお前がダナオイ人の面前で、神意であると語るのを聞けば、遠矢の神がダナオイ勢に禍難を降されたのは、わしが娘クリュセイスの見事な身代を受け取ろうとしなかったためだそうな。いかにもわしはどうしても娘を手許に置きたいのだ。わしには正妻クリュタイムネストレよりもあの娘の方がよい。姿かたちといい、心ばえや手の技といい、娘は少しも妻には劣らぬのだ。とはいえ、そうした方がよいことであるというなら、娘を返してもよいとは思っている。わしとて兵士らが死ぬよりも無事であって欲しいからな。ただし、即刻わしに代わりの取り分を用意するのだぞ。アルゴス勢の中にあって、わしだけが勝利の配分に与らぬという法はない。そのようなことはあってはならぬのだ。わしの取り分が失われることは、そなたらがみな見ている通りではないか。)
(クリュセイスはポイボス・アポロンがわしからお取り上げになるのであるから、その娘にはわしの家来を付け、わしの船でおくってやる。その代わりそなたの手柄の印である頬美わしいブリセイスは、わしが自らそなたの陣屋へ赴いて連れてゆく。さすればそなたも、わしとはいかに身分が違うかを悟るであろうし、たま他の者たちもわしに対等の口をきいたり、面と向かって等し並に振舞うことを遠慮するであろうからな。)
3.
神様が介入してくるので筋が流動的になる、あとネタバレしてくる。
(ああ、なんたることか、わたしは豪勇アイネイアスが哀れでならぬ、間もなくペレウスの子に討たれ、冥王の館へ降ってゆくことになるであろう、愚かにも、遠矢を放つアポロンのいうことを聴いたばかりにな。そのアポロンは決して無残な死を防いではくれまい。だが罪もないあの男がどうして今、いわれもなく他人の心配事のために悲惨な目に遭わねばならぬのか。広大な天に住む神々に、常々好ましい供物を供えてくれるあの男が。さればわれらが彼を死から救ってやろうではないか、もしアキレウスが彼を討ち取るようなことになれば、どうかするとクロノスの子も腹を立てることになるかもしれぬからな。そもそも彼が死を免れるのは定まった運命なのだ。クロノスの子が、人間の女に産ませた子の中では、誰よりも寵愛していたダルダノスの一族に後を継ぐ者がなくなり、絶えてしまっては困るからだ。既にクロノスの子は、プリアモス一族を憎む気持ちになっている。かくていずれは豪勇アイネイアスがトロイエ人の王となるであろうし、続いては今後生まれてくるその子孫たちもな。)
4.
冗長に感じる。
ふと思ったのだが、逆にこういった違和感を感じる本って、古典以外ではあまり市場に出回っていないのではないか。ケータイ小説の衝撃というのは、そういったところにあったのではないだろうか。
一生懸命書いたけどなんだか違和感がある物語を集めたような本があったら、ツッコみとして利用できるとわかった上で売るのであれば、ちょっとかわいそうかもしれないけれど、案外話題になるのではないだろうか。「全米がツッコんだ!」「5回ツッコめます!」「ツッコみが止まらない!」みたいな。