あらかたひとりのブログ

のんびりひとり暮らししています。

マナー講師に関する物語の導入

ヒトは論理的合理性のみにあらず。

 

例えば有毒なガスが蔓延する場所、あるいは藪から忍び寄る獣、武器を持った者同士の優劣をめぐる争い。

 

これらに対処するために何人か送り込み有毒なガスの範囲を測ったり、藪から獣が出てくるまで待って自らの目で確かめたり、お互い日常生活に支障をきたしかねない傷つけあいをしたりしていては、人類はこのように栄えなかっただろう。

 

目に見えなくとも死や瘴気を恐れ、身近な者がアラートをあげればそれを自身の身の危険と感じ、社会として無益な争いを避ける。この知恵がいわゆる呪術的思考に結びついている。

 

穢れをあるものとし、恐れ、それに近づく者を避け、目に見えない獣に恐怖しそれを周囲と共有し、そして社会の安定のために行き過ぎた行動に出た者を聖別して縛る。ないものをあるとする、現代の人間社会の繁栄を築いたこの思考はいわゆる未開の思考などでは決してない。

 

現代における呪術師は、マナー講師として社会の安定のために活躍しているのだ。

 

 

…というマナー講師に関する物語の導入部を考えたのだけれど、どうだろうか。マナー講師が人々を救っていくという話なんだけど。対決する相手は論理的合理性を備えた人物だろうなあ。さらに最後には、論理的合理性でも図り切れない「人間性」に焦点をあてて、どうしようもない「人間性」を救うために奔走するという壮大な物語なんだけど、どうだろうなあ。

 

 

ありそうじゃない?