ガチョウと黄金の卵
ある日、農夫は飼っているガチョウが黄金の卵を産んでいるのを見つけて驚いた。そのガチョウは翌日また1個、黄金の卵を産んでいた。黄金の卵は他社にも認識でき、適正な値段で売ることもできた。夢である様子はない。可能性はいくつかある、と農夫は考えた:
A)
外的要因はなく、ガチョウが卵を産む際に金を作り出している。
B)
外的要因はなく、ガチョウが卵を産む際に、体内に保持されている(作り出されない)金が出てくる。
C)
例えばガチョウが"金の材料"を飲み込んだといった外的要因があり、ガチョウが卵を産む際に金を作り出している。
D)
例えばガチョウが金を飲み込んだといった外的要因があり、ガチョウが卵を産む際に、体内に保持されている(作り出されない)金が出てくる。
E)
神意によるもの
A、C の場合はこのままガチョウに1日1個卵を産ませるのがよく、B の場合は卵を産ませてもガチョウを解体しても構わない(時間価値を考えると解体したい)。D の場合はガチョウの行動を調査することでより金を得ることができるかもしれない。E の場合は神のみぞ知るといったところだ。
農夫にはどの選択肢が正しいのかわからなかったが、すでに黄金の卵を売っていることから近く話題になってもおかしくはない。ここはガチョウの腹の中に金が詰まっていると勘違いしたという理由でガチョウを死なせてしまった、という話にして、こっそりと飼いつつ、黄金の卵はそうとはわからないように取引に利用しよう、とそう決めるのに時間はかからなかった。
欲を張ったがためにガチョウを失ったという農夫は、羨みと蔑みと哀れみの的となり、地元ではしばらく面白おかしく取り上げられていた。この話がイソップの耳に入り、有名な道徳的な寓話として取り上げられているのはしばらく後のことであった。