あらかたひとりのブログ

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Boule ブーレ

国家の行政に責任を持つ評議会。

その構成員や権限は政権により異なり、例えばホメロスの語る世界においては王に助言を与えるための貴族の会議を意味した。寡頭制においては参加資格が制限され民会より強くなりがちで、民主制においては参加資格が広がり民会に従う議会となった。ほとんどのポリスにこの種の議会があり、ポリス間同盟でも同じように評議会を持った。

アテナイにおいては最初は王に助言する会議として始まり、元アルコンから構成されるアレオパゴス会議になり、前594年にソロンが第二の、議事を事前に検討する評議会、400人評議会を創設したとされる。前508年にはクレイステネスがこれを500人の評議会に置き換え、構成員が10の部族から50人ずつ選ばれるようにした。選出も任期付きくじ引きによるものであり、前4世紀には生涯において計2年間のみ参加することができた。(ヘレニズム期には部族が増えたり廃止されたりして評議会の人数も増減した)前450年代までには1年を10に分けて、10の部族がそれぞれの期間評議会の常任委員会として機能するようになったが、これはプリュタネイスと呼ばれ、このうち1人が1日だけ議長を務めて24時間職務に就いた。

評議会が権限を獲得し始めたのは、おそらく前462年、エフィアルテスによるアレオパゴス改革からであった。評議会はその権限で財政や軍備、祭り、公共建築、社会保障などを管理するためにそれぞれ委員会を任命したが、同時に司法の手続き管理などにも関与した。