あらかたひとりのブログ

のんびりひとり暮らししています。

Citizenship 市民権

古代ギリシアの市民権は2つの要素からなっていた。

個々の国家は境界を持ち、継続して存在し、決定権があるという概念

国家に住まうものは共同所有者として参加するものであるという概念

 

最初の要素は国家形成に至るプロセスの結果であり、首長が個別に持っていた力が集中化することで認識されるようになった。第二の要素は、叙事詩にもデモス(テリトリーあるいは住居、住民)やラオス(役割や関係性という
文脈における人々)が担っていると描写されているように、共同生活の中で根付いたものだ。

この2つの要素の融合は古代ギリシア世界において広く「政治を共有する」と表現されていた。この表現は暗に全ての市民が公的な責任(決定、戦闘、審判、管理など)と公的な特権(土地、分配、力へのアクセス)を共有することを意味している。政治的圧力と政治理論は「分配は平等であるべきか」「誰が市民であるべきか」という問いを中心に結晶化した。寡頭制に反対する平等への願望は、ホモイオイ(仲間、スパルタ市民の意)、イセゴリア(集会における発言の自由)、イソノミア(支配者と被支配者の公平性)といった用語や、アリストテレスによる市民の定義を形づくる「交代で支配し支配される」という概念によって示された。このような事情から、市民と非市民の境界は明確である必要があった。

ヘレニズム期にはこうした市民の機能が弱まり、市民権は名誉や地位を表すものとなり、売買されるようにすらなったため、このような境界は徐々になくなっていった。